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2006年06月30日

●やっと第1次関門通過?

 妻の心臓カテーテル検査がきょう無事終了した。生命が守られた、感謝!!

 「検査」といっても心臓に管や造影剤を入れるので、通常の手術並の体制がとられたようだ。施術者(医師)側による、患者と家族への様々なリスクについての事前説明も、これまでの普通の手術と変わりはなかった。最近は随分と丁寧になり明快な説明で分かりやすかった。また患者が充分安心できるような配慮や励ましがあった。

 幸いにも、事前の可能性として昨日説明された「治療」(施術)の必要はない程度、すなわち重症ではなかったようだ。あす10時に結果説明がある。当初心配していたほどの重態ではないことを期待し祈っている。
 

2006年06月26日

●誕生記念日の証し

 昨25日(日)教会の信徒会で証しをしたので、後日の記録にとどめておきたい。以下当日、自身で話した事柄である。


 今月、○○回目の誕生日を迎えました。第二、第三の人生を迎えてから、しばらく平凡ながら平穏な生活、平穏な誕生日をここ数年迎えて、馬齢を重ねてきました(馬齢などというと、牧師先生が嘆くので、あまり大きな声で言えませんが)。

 しかし、今年の誕生日は違いました。大変な危機の中で迎えたのです。家庭での誕生日のお祝いも盛り上がりませんでした。妻が重症の病気を二つも持つことが判明したからです。持病と合わせて三つ、いずれも命にかかわる病です。

 このような環境の中で、ここ数年間こころを占めている言葉があります。自分が愛唱する聖書の言葉と合わせて(基にして)、自分の言葉/表現でとらえた次の言葉です。
 

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2006年06月23日

●偉いブログにリンクしていただいて光栄!

 はじめてから間もないこのブログ「ゆるされてある日々」を、価値あるブログがリンクしてくれた。“感動”を「ブログ評論」から頂いたので、お礼の意味を込めてトラックバックをしたのが縁である。「光栄です。」 

 うちのこのブログはそもそも、ブログづくり遍歴をしてたどり着いた超プライベートなブログである。これまで10個?に近いブログを試しては中断し、またあるものは続けてきた。最近発症した(発見された)家人の重大な病気と自身の高齢化への歩みの中で「生と死」にこれまで以上に向き合わざるを得なくなっている。

 もう格好などつけている時は過ぎた。それで、いま生きていることを、生かされていることを感謝して、天〔創造主なる神〕から“許されて在る日々”として綴ろうと思い立った。とはいっても主に闘病日記になってしまいそうであるが。

 だれも読んでくれなくともよい、自分のこころの整理になるのだから。でもせっかく書いたのだから、知らない人でもよい、だれか読んでほしい。知人友人には読まれてもかまわないが、自分から知らせたくはない。矛盾した思い。

 このようなとき「ブログ評論」がリンクしてくれた。大海にさまよう小さなゴミに等しいこのブログにも、細い1本の糸が初めて繋がった。そんな気がする。感謝!

 なぜ「ブログ評論」が偉いか? それは主宰者が魂を込めて、志を持ってそのブログをつくり、運営していることが伝わって来るからである。多くの人々に、情報と喜びと感動を分け与えてくれているからである。

 先方は迷惑であろうがもう一度トラックバックしたい。(ご迷惑であればTBを削除してください。)

2006年06月21日

●ブログで涙した。。。初めての体験

 これまで、数え切れないほどのサイトやブログを観てきたが、この《ブログ以外》のものを観てきのう初めて涙を流した。

  http://genyakun.dyndns.org/tmp/61.swf

  http://kandouii.sakura.ne.jp/flash/oniityan.htm

以上は、下記の「ブログ評論」ブログで紹介されていたもの

  http://bloghyoron.blog50.fc2.com/blog-entry-78.html
 

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2006年06月19日

●半歩前進

 やっと妻の検査入院日が確定した。2ヶ月ほど検査とその結果通知の通院が計10回以上続いた。うんざりして、もういいけんげんにしてくれ!と言いたいとき、やっとカテーテル検査入院。そして次に、心臓の血管にステントなるものを挿入する手術をすることになりそうだ。

 きょうもう一つささやかな良いことがあった。自分の普通のホームページがYaHoo!の「キリスト教個人体験の部」の人気ランキングの中程にあるのを発見した。ずーっと最下位にランクされていたのだがいつのまにか上がっていた。現在ブログに傾注して、そのサイトの更新はさっぱりとはいえ、最下位はやはりいやだった。

2006年06月16日

●誕生日の証し

 わが牧師の奨めに従って、誕生日記念のあかしをまとめておく。

 今月、○○回目の誕生日を迎えた。第二、第三の人生を迎えてから、しばらく平凡ながら平穏な生活、平穏な誕生日をここ数年迎えて、馬齢を重ねてきた(馬齢などというと、牧師が嘆くので、あまり大きな声で言えないが)。

 しかし、今年の誕生日は違う。大変な危機の中で迎えた。家庭での誕生日のお祝いも盛り上がらなかった。妻が手術が必要な重症の病気を二つも持つことが判明したからだ。持病と合わせて三つ、いずれも命にかかわる病である。

 このような環境の中で、ここ数年間こころを占めている言葉がある。自分が愛唱する聖書の言葉と合わせて、自分の言葉/表現でとらえた次の言葉である。
 

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2006年06月15日

●やっとスタートラインに着く

 きょうも妻の付き添いで○○大学病院へ行った。やっと心臓の治療のためのカテーテル検査を実施することが決定した。ただし日取りは未定。入院が必要なのに、日取りが決まらないのは落ち着かない。珍しく、この日取りについては病院から連絡をくれるという。
 
 珍しいこともう一つ。12時半の予約時間の前に診察してくれた。いつもは予約時間から30分〜1時間遅れが当たり前なのに。。。 面食らうほどであったが有り難い。
 

2006年06月14日

●極まることのない人生(2)

 「極まる」: (1)もうこれ以上はない、という状態になる 【例】感極まる 
(2)いきづまって、それ以上はどうにもならない、という状態 【例】進退きわまる

 人生にはこの2通りの状況に遭遇する。しかし、本当に「極まることがない」、ということをモットーとしたい。先に書いたブログテンプレートの件は(1)の状態であるが、人生の歩みにおいては(2)のいきづまり状態になることがある。でも信じる者には本当に極まってしまうことがない。

 「信じる者は慌てることがない」 神様が道を開いてくれる。
 

●極まることのない人生

 まずは卑近なことから。このこだわりブログの仕掛けがやっと仕上がった。第1次完成。用意されたテンプレートを使用すればどういうことはないのだが、少しこだわっている。

 自分の書く内容に合わせたレイアウトをした。「小粋空間」のお世話になり、ここの2カラム・リキッドレイアウトを自分流にカストマイズした。このリキッドスタイルはなかなか好みに合っている。なお、トップの背景画像はWordPress提供のテンプレートから借用した。制作者はKai Ackermann氏。背景画をいろいろ探したのだが、これに勝るものが見つからないので、苦肉の暫定策である。

 文章主体の読みやすく、書きやすいスタイル。「読みやすく」に苦労したのが、文字のサイズである。ウィンドウズIEでは、文字固定に設定されていると、そのまま固定の大きさで変えることができない。通常の読み手にはこれでよい。

 しかし、Netscape, Firefox, Opera など文字サイズを可変できるブラウザで表示しても様になるバランスでなければならない。文字サイズを段々大きくしていくと、あるサイズで突然レイアウトが少し崩れる。この原因がどうしてもわからなかった。スタイルシート、メインページを精査した。あきらめて妥協しようとしたが、さらに追求し、ついに突き止めた。

 「検索フォーム(Search this site)」の入力欄のサイズに影響されることがわかった。この裏の仕掛けについては自分で手出しできないので入力文字数を少なくして暫定対策をしてほぼ妥協できる点まで到達した。

 このように簡単に見えるブログでさえ「極まり」がない。人生の諸問題についてはなおさらのことである。(次の日記につづく)
 

2006年06月13日

●闘病日記(2)

 きのうも妻を連れて○○大学病院へ行った。5月からこれで8回目の通院。治療で通うならまだよいが、すべて検査と問診だけにである。担当医も日替わりの診療科もある。これが専門化された大学病院の実態か? 

 患者側の要望で長引いた点も少しはあるかも知れないが、責任をもって、患者のことを配慮して対応・治療しようとする「任術の思い」があまり感じられない。婦人科と循環器に関わる病、どちらも現時点までの検査では重症と途中診断されている。検査、検査 。。。で医者(医師でなくて医者と言いたい)は聴診器を当てようとしない。聴診器が診断の基本ではないのか?

 聴診器を持ち出すなどを含めて、時代錯誤の要求なのかもしれない。しかし大いに不満。でも患者は弱い、医師を信頼するしかない。

    主よ、すべてを最善に導き、糟糠の妻を癒してください!
 

2006年06月09日

●強い者、弱い者

 昨日、病院玄関前で妻が転倒した。日頃から気をつけていたが、些細なことで急がせたのがいけなかったのだろう。幸いにも、大事には至らなかったが、顔などを少し打撲した。このことが心にあった今朝の聖書の言葉になお反省した。 

わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。(ローマ人への手紙 15:1)

 この箇所は、主に心の弱さ霊的なことをいっているのだろうが、自分としてはまず身体的に弱い者への思いを強く示された。「介助」「介護」は自分の満足を第一にしてはいけない、当然のことであるが難しい。
 

2006年06月04日

●障害者の世話−利他主義か利己主義か

 「障害者の経済学」(中島隆信著)を読んでいる。歳だけとった当事者にとって、多くの事柄を確認し整理し、また目を開かれるところもある良書である。

 その中に、障害者を世話(助ける)するにあたって、人は利他主義に基づくか、それとも利己主義に基づくかを取り上げた項がある。ここで言う利他主義とは、「他人の喜びを自分の喜び、他人の苦しみを自分の苦しみとみなすことができるという考え方である」としている。

 しかし、その欠点(欠陥)として「それは相手のために何かをしてあげたとき、相手が喜んでくれないとガックリくるという点だ。そのときは、相手に喜んでくれるよう要求するか、あるいはその行為は行わないということになるだろう。」と解説している。

 なるほど。最近の自分の小さな体験ー教会の礼拝における聴覚障害者への援助?ーを通して、この「定義」がよく適合すると思う。

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2006年06月02日

●ゆるされて在る日々

 この本命?ブログのタイトルが揺れている。昨日「ゆるされて在る日々」に変更した。

    病は人を変える。攻撃的から受動的に、そして謙虚に。。。

    今度の病は自分の病ではないが、同じように影響しつつある。

    預けられた子、授けられた妻。

    きょうまで共に守られ生かされている。

    ただそのことを確認して落ちつき、得心する。

    主よ。。。
 

2006年06月01日

●ほっ、ふぅ〜 第一関門「核医学」無事通過

 家人の心臓の核医学による検査が無事終わった。「核医学」という医療用語を数週間前に初めて聞いた。要するに放射性物質を血管に送り込み、心臓など循環器の動きを観る検査である。結果は1週間後に発表される。

 心臓に負荷をかけて実施する検査であるが、体力的に運動等で負荷はかけられない健康状態なので、薬(注射)で負荷をかけられた。この検査により、本当に心臓の機能が停止してしまうのではないかと、大いに心配した。それが無事きょう先ほど終わった。

    まだ生かされている! 

 生きていてくれる喜び、存在してくれていることへの喜びと感謝。

 案ずるより生むが易し。なによりも教会の仲間達が祈ってくれていたからであろう。感謝! 果たして検査結果はいかに?
 

May 2006   Ritarico